フォーメーションの歴史

サッカーとラグビーは、ともに中世のフットボールに起源を持ち、19世紀になって手を用いる事を認めないサッカーと手を用いる事を認めるラグビーに分かれた。

そのため、最も初期のサッカーでは現在のオフサイドに相当するルール(アウト・オブ・プレーに関するルール)がラグビーとほぼ同じで、ボールより前にいる選手に対してパスする事が認められていなかった。 現在でもラグビーでは15人の選手全員が横一線になってオフェンスラインとディフェンスラインを形成するが、最も原始的なサッカーもこれに類似しており、 0-0-10というフォーメーションを形成していた。

以後、初期のサッカーにおけるフォーメーションは、オフサイド(アウト・オブ・プレー)に関するルールの変更によって大きく影響を受け、変化・進歩してきた。

初期 Vフォーメーション (2-3-5)

1866年にアウト・オブ・プレーに関する規定が見直され、前にいる選手に対してパスを出す事が認められるようになった。この時のルールではゴールラインとパスを受ける選手の間に守備の選手が3人以上いなくてはならないというものであった。このルールを通称「3人制オフサイド」と呼ぶ。

このルールに対応してディフェンダー=守備を行う選手という概念が誕生したが、3人制オフサイドのおかげで現在でいうオフサイドラインはかなり高い位置に存在していたので、DF2人で十分に対応できる状態であった。 したがって、この頃のフォーメーションは依然としてかなり前がかりな2-3-5で、後ろの選手に比べて前の選手がかなり多かった。このフォーメーションは上から見るとゴールキーパーを含めてV字型に見えるためVフォーメーションと呼ばれた。

フォーメーションの歴史は、この2-3-5から守備に割く人数が増えていく歴史であり、現在でもイギリスで左右のサイドバックを単にライトバック/レフトバック、センターバックをセンターハーフと呼ぶことがあるのは、2-3-5フォーメーションでのポジション名の名残りである。また、この頃はDFを「バックス」、MFを「ハーフ」と呼ぶことが多かった。

1930年代 WMフォーメーション (3-2-5)

1925年にオフサイドルールが改正され、ゴールラインとパスを受ける選手の間には守備の選手が2人いればよいことになった。このルールでオフサイドラインは下がり、 2人のディフェンダーでは敵の5人のフォワードに対応することが難しくなってしまった。

そのため、2-3-5フォーメーションにおけるセンターハーフが左右のDFの間に入ってディフェンスを務める3-2-5のフォーメーションが主流となっていった。 このフォーメーションはFWの配置がW型、DF・MFのそれがM字型に見えたため、WMフォーメーションと呼ばれた。

WMフォーメーションにおけるFWの配置は、左から左ウイング-左インナー-センターフォワード-右インナー-右ウイングであり、ウイングとセンターフォワードが最前線に出て、 インナーの2人は下がり目というポジショニングとなっていた。このフォーメーションでは、ウイングの上げたセンタリングをセンターフォワードがはたき、左右のインナーがシュート するというのが基本的な攻め方であり、下がり目に位置していたインナーが実際には得点を狙うポジションとなっていた。

1930年代初頭にこのWMフォーメーションをいち早く採用したのが、クラブチームではアーセナル、代表チームではヴンダーチームと呼ばれたオーストリア代表であった。 また1950年代前半にマジック・マジャールと呼ばれて4年間無敗の記録を作り、ヨーロッパを席巻したハンガリー代表のMMシステムもこれを応用したものであった。

1950年代 4-2-4

ヨーロッパにおいてWMフォーメーションから発展させたフォーメーションが主流であったが、1950年代前半に南米で2-3-5を発展させた4-2-4が生み出された。

この4-2-4はゾーンディフェンスの考え方とともに生み出されたもので、オフェンス4人、ディフェンス4人に加え中盤2人という構成であった。 現在の中盤という考え方が確立されたのもこの頃である。それまでのWMフォーメーションのオフェンス5人、ディフェンス5人に対して中盤の2人が攻守を兼ねることでオフェンス6人、ディフェンス6人数的優位を作り出し、WMフォーメーションを圧倒した。

4-2-4は1958年のワールドカップスウェーデン大会で優勝したブラジル代表に採用され一時代を築いた。この後1970年代にリヌス・ミケルスが世界に轟かせて有名になったトータルフットボールも、この4-2-4或いは4-3-3のシステムをベースに進化させた戦術と言われている。

1960年代 4-3-3

1960年代、WMフォーメーションに取って代わった4-2-4から変化したもので、4-2-4からFWを1人減らして中盤を1人増やしたフォーメーション。 4-2-4よりもバランスが取れていたとされる。以降、20年にわたり4-2-4とともに世界の主流となっていった。

また1970年代には、4-3-3からFWをさらに1人減らして4バックの背後に5人目のDFを置き守備重視でカウンターを主体としたスタイルのイタリアのカテナチオや、 4バックのうち1人を余らせ攻守にわたってゲームをコントロールする攻撃的なリベロを置くドイツのベッケンバウアーの高い能力を生かしたリベロシステムなどが生まれた。

1980年代前半 4-4-2

1980年代以降は、中盤が重要視されるようになりMFの人数が増えることになる。そして1982年のスペインW杯では黄金のカルテットを要するブラジルや、シャンパンサッカーと呼ばれた ミシェル・プラティニ率いるフランスが4-4-2を採用したことなどもあり、現在でも多くのチームに使われ、最もベーシックであるとされている4-4-2が主流となっていく。

1980年代後半 3-5-2

4-4-2に対抗するように、相手の2トップに対してDF4人を置くのは無駄なので2人をマークして1人をスイーパーとしてあまらせるという手法により3バックが生み出される。

1984年の欧州選手権でデンマーク代表監督のゼップ・ピオンテックによって生み出された3-5-2は、1986年のメキシコW杯の時にアルゼンチン代表監督のカルロス・ビラルドによって熟成し、 それ以降、世界中のクラブや代表チームで3-5-2が採用される様になった。

2000年代 4-5-1 (4-2-3-1・4-3-2-1)

そして現在では、新たな方向性として4-3-3のウィングを中盤まで下がらせたような4-2-3-1や1トップ2シャドーを軸とした4-3-2-1といった1トップのフォーメーションなども誕生することとなる。

この4-2-3-1といったフォーメーションは近年ヨーロッパなどで見られるが、中央へのプレッシャーが 増す現代サッカーにおいてサイドアタックを重要視する考え方からうまれたものや中盤の構成力を重視したものであって、1トップといっても必ずしも守備的 なものではなくて戦術しだいでは高い攻撃力を見せる。

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